新潟高校ボート部OB会 阿賀野川レガッタ参戦記

2020.01.08
部活会

井上 聡(青山艇友会副会長 89回卒)

東京青山同窓会の皆さま
新潟高校ボート部OB会、青山艇友会副会長、89回卒の井上です。

昨年6月の「ピックアップ」後編をお送りします。
 

まず東京で練習を!

9月の阿賀野川レガッタ出場と目標が決まり、「練習しよう!」と意気上がる東京在住のメンバー。LINEでメンバー募集の連絡を取り合い、艇が借りることが出来る神奈川県の相模湖漕艇場を予約し練習日を確保。
早々に4人の漕手は決まったものの、コックス(舵手)が見つからないというピンチ。このままではコースに出られない、練習できない、という1週間前、救世主が登場。
神林幹事長の青山艇友会ネットワークで119回卒、現役で競技を続けている紫竹さんに引き受けて頂きなんとか練習当日を迎えたのでした。
 

真夏の相模湖で練習

練習日当日、神奈川県の相模湖漕艇場に5人が集合したのは8月の猛暑日。室内練習場でウォーミングアップし、いよいよレンタル艇と対面。「ん、我々が現役当時使用していた艇と違って軽~い。装備もあちこち進化している」などと余裕の軽口を言いながら、皆でいそいそと艇を湖に浮かべます。
コックス紫竹さんの指示のもと、40年ぶりに漕ぎ出しました。「思ったよりも漕げるかも」「全然身体が動かない!」4人の感想はそれぞれですが、昔取った何とやら。4人の呼吸も次第に合いはじめ、すいすい艇が進みます。(当人たちはそのつもり)。移動も含め4kmほど漕いで練習終了。やはり日頃の不摂生で身体はガタガタです。でも少しだけ感じた手ごたえと満足感。やはり水の上は最高!


相模湖にて。久しぶりの乗船に思わずニヤリ

信濃川で2回目の練習

レガッタ前日には最終練習を信濃川で行う事となり、大会に出艇する2クルーのメンバーが艇庫に集合し、一度きりの合同練習。
現役時代に汗を流した信濃川は格別ですね。
現在、高校生の競技は我々が現役時代に使用していた、ナックルフォアという艇からシェルフォア艇に変わってしまったために新潟高校には、阿賀野川レガッタで使用するナックルフォア艇がありません。そこで青山艇友会の先輩方に手を尽くして探していただき、見つかった艇は、なんと旧沼垂高校が保管していた艇でした。とても綺麗に保管されていた艇でした。
 


信濃川の合同練習では旧沼垂高校の艇庫「ふじなみ」を借用

合同練習は、渡邊会長、水沼監事にも来ていただき、水沼監事にはコックスもお願いして、スタートやスパートの練習もしていただいて充実の合同練習となりました。(お二人の先輩は大分心配のご様子でしたけど)
あらためて御礼申し上げます。
終了後は一旦解散して津川の宿に再集合、元マネージャーもご家族でかけつけてくださり、夜の懇親会はチームの健闘を誓いつつ昔話しで大いに盛り上がったのでした。
 


大会前日、信濃川で最終調整に臨む

いざレガッタ本番

「阿賀野川レガッタ」は阿賀町あげての大会で、27回目を迎えた素晴らしい大会です。
今回は総数で81クルー、500名弱の参加があり10分間隔で37レースが行われます。
審判団には、青山艇友会の櫻井副会長、佐藤幹事が参加されています。
レース距離は現役時代の半分の500m。我々は経験者のためオープン参加扱いとなり、決勝戦への出場資格はありません。
レース当日、新潟高校で教鞭をとり、ボート部の顧問でもある102回卒の長谷川さんが到着。クルー全員が揃っていよいよ大会スタートです。レースは、第1レース(予選)でBクルー1位、Aクルー2位となったため、第2レース(準決勝)で両クルーが直接対決しAクルー2位、Bクルー5位で決着。夢のレガッタを終了しました。
 


阿賀野川を力漕するAクルー

今年の津川大会に向けて

2019年10月、台風19号が上陸し中下越でも大きな被害が出ました。被害地の皆さまにはあらためてお見舞い申し上げます。
この台風では相模湖の漕艇場も被害が出ており、津川のコースや艇庫場はより大きな被害が出ており開催は未定です。
もし開催されるようでしたら、また有志を募り参加に向けて調整していきたいと思っています。

在京ボート部OBの方で、津川漕艇場の被害状況、復旧支援の方法を確認されたい方は下記アドレスをご参照頂ければ幸いです。


信濃川に浮かぶナックルフォア艇
今後とも宜しくお願いいたします。

注)ナックル艇
競技用の艇(ボート)は、船底の形状によりシェル艇とナックル艇に大別される。
軽量で船底の形状が丸いシェル艇は、水の抵抗が少ないため、ナックル艇よりはやく進みますがバランスがとり難く経験が必要なのに対し、ナックル艇は船底を平らにして艇の安定性を高めたもので、頑丈なため重量が重く速度は出ませんが、初心者でも比較的漕艇し易い。
昭和の頃までは、新潟県内の高校では、4人の漕手+舵手の5名編成のナックル艇を使っての競技が盛んであった。
平成の頃からは県内の高校競技もシェル艇へと変わっている。