「次代を担う人材へのメッセージ」

南場 智子 (株式会社ディー・エヌ・エー代表取締役会長・創業者/89回卒)

2017.06.16
同期会

新潟時代

東京同窓会には前から参加したいと思いつつも、なかなかチャンスが訪れずにいましたが、今回、この話をいただいた時に良い機会と思いました。新人歓迎会ということで若い方が殆どだと聞いてましたので、今日来てみたらそうでもないと(笑)いうことで、先輩方もいらっしゃいまして、緊張したり、話が失礼になったらいやだなとか思いましたが、せっかく来たのだから楽しくやらせていただきたいと思います。

ご紹介いただきましたように、新潟生まれの新潟育ち、南万代小・宮浦中・新潟高校ときています。
私の幼少期というか、人格形成に最も影響を与えたのは新潟の父でした。
父は徹頭徹尾の男尊女卑、暴君のような人で、女性・子供に人権は認めないという人で、また女に教育は必要ないとも言っていました。
父は大体、夜マージャンで遅いのですが、早く帰宅するときは、母は小間使いのように、姉も母と台所で、そして私は正座して父にお酌するとか腰をもむとか、父が指示する小さな諸々のことをウインブルドンのボールボーイのようなスピードでこなすのが日課でした。

当時の私は、新潟高校に行かせてもらえるかどうかが最初で最大の関心事でした。
家で宿題をしなくて良い、していると叱られたりしました。また、すべての重要な買い物は父が決めます。
小さなモノを買うときは母に甘えることができましたが、服よりも大きなものを買うときは父の許可がいるのです。
姉は女だからと、母の母校である中央高校に行けと(母;前身の新潟女学校)。私の時はとモジモジしていると、おまえは父の母校の新潟高校に行けと言われ、内心、ヤッタアと思いました。
我家の門限は6時で、それを過ぎるときは父の許可が要ります。
新潟高校では、例のあのコンパがあっても、最初の1杯だけで帰るとか。青陵祭では夜中にドラム缶で染物を煮るときも、皆が作業中に帰宅するのが淋しくて、父がしっかり寝込んでることを確認して深夜そっと学校に行き皆と作業して4時ころにはそっと戻ったりもして事なきを得たとか今思い出しました。

東京の大学に行きたいなどと言ったら家じゅう大変なことになるということで、大きな難関でした。
父は地元の新潟大学に行けと! おまえを大学に行かせるのは、社会に出るにはまだ早すぎるということ。
しかし、私にとって大学生活を親元で送るなどと言うことは“死を意味する”(笑)と思い立って、決死の覚悟で家を出ようと、ボストンバッグに荷物を詰めて、恐る恐る父に話した途端ダメだと、東京に出て暮らしている女性は一
人残らず間違いなく不幸になると(笑)。
それが初めての父への反抗でした。
東京の大学に行きたいと言ったら、父は182cm,100kgの巨体で、3回ほど投げ返されまして、最後はタンスの角で背中を打ち出血し、母と姉が泣きながらオロナイン軟膏を持って私を追いかけるという阿鼻叫喚の日を思い出します。
これが、私の新潟での生い立ちでした。
こんな話はどうでもいいのですが(笑)。

自身のキャリアのこと、夫の病気、社長退任

今日は若い人へのメッセージということで、うまくできるかどうかわかりませんがお話ししてみたいと思います。
大学を出て2年間、外資系コンサルティングのマッキンゼーに入り、その後MBAをとるために米国へ留学、そしてまた、マッキンゼー戻り10年いました。

人の商売に口を出しているうちに、そればかりじゃなくて自分でもやってみたいなあと、魔がさしたっていいますか、勘違いですね、
人にアドバイスをしてるうちに自分でもやれるんじゃないかと錯覚してしまいました。
そして、脱サラ、起業して12年間社長をやってました。

そして、12年のあとの2011年にブン投げるようにして、社長をやめました。
主人が重い病気にかかり、頭の中がいっぱいになってしまいました。
あとで、世の中には、潔いとか美談のように言ってくださる方もいましたが、実態はそうではなくて、無責任というのが本当でした。
一部上場の大企業の社長さんで、本人が健康を害して辞めるという方は聞いたことがありますが、配偶者とか家族の病気等で中途でやめる方はあまり聞いたことがありません。
どこかの町長さんが奥さんの病気で中途でやめた例があったくらいかなと。
では、大企業の社長さんは皆が健康かといえばそうでもなくて、お子さんに重度の障害がある例とか奥様が重病の方もいろいろおありの方も多いようです。
それでも、株主や社員にそれを隠し、心配をかけぬよう当たり前のように仕事に取り組む人がほとんどです。
私の場合は、キャパシテイが全くなくて、会議の途中に病院からの緊急の電話で、ちょっとごめんねとか・・でした。
2011年4月末、5月10日の手術を前にして、もうこれはだめだなと思い社長を退任、最初は狼狽していましたが、幸い手術はうまくいきました。

その後の治療方法を巡って、私自身必死に医学書を読んだり勉強し、人も使っていろいろスタデイしたりで癌や病気のことを徹底的に調べました。
そうして、パニックが少し過ぎて落ち着いたら、ある感情に襲われ、後悔の念にかられました。どうして、健康を害して病気にさせこのようにしてしまったのだろうかと。

そもそも、私も主人も体力には絶対の自信がありました。
ふたりとも頭は悪いが体力には自信があり、私もあるときは週の合計睡眠時間が一桁なんてこともありました。
しかしながら、悪妻で、手料理ゼロ。
たとえばガンになる大分前のある夜、主人が夜中に具合が悪くなって七転八倒、救急車を呼んでくれと言ったようなのですが、私はすっかり寝込んでいて全くそれに気付きませんでした。
それで、主人が自分でベッドからころがり落ち這って自分で救急車を呼んだようで、翌朝来起きたら、主人の姿がなく、これは誘拐か?
でもベッドに財布もあるし?オイオイ財布おいてくなよ!近所では、昨夜はスゴイ、サイレンがしてたというのに、私は完全に寝込み全く気付かず。
そして、病院から電話があり、急いでパジャマと下着を持ってきてくれと。
これは入院かあと、しかしどこにあるかもわからずウロウロの茫然自失、ひとことでいえば悪妻、失格でした。
また、あるとき、主人が癌になる前にインフルにかかって、急遽コンビニのおむすびを買って行き、まわりのセロハンをはがし海苔を張り付けて主人に渡したら感激しこれがはじめての手料理だ、というような悪妻でした。

どうして健康に良いことが何かひとつでもできなかったのだろうか?何かひとつでもしていたら、ここまでも後悔しなかったのではないか?それで幸い2年後、症状が安定して会社に戻って、何とか人々が病気になる前に健康の大切さを知って健康寿命を延伸するような事業をできないものかと考えました。
遺伝子検診、Bigdataで運動などライフログ、検診情報、診療情報等を活用して、どういうライフスタイルなら健康に過ごせるか、どうしたら病気にならないかなど、健康延伸などの企画を始めました。
DeNAは、ほかにもいま、自動運転の事業などもやっていまして、横浜・九州・仙北市でも何回も実証試験を行っています。

これからの働き方

今日若い人にお話ししたいのは、仕事の仕方や働き方がこれから大きく変わって行きますよということです。政府が言う働き方改革ということも重要ですが、もっと本質的な変化についてお話しします。

今、二つの大きなうねりとして、Industry4.0 とかSociety5.0 などの言葉が新聞などに踊らない日はないというように世の中で議論されていますが、IoT,Bigdata,AI などでヒトとモノがインターネットですべてつながって行くということ。
そうすると膨大なデータBigdata といいますが、これらを解析する軸を従来の人間ではなく、AIで軸となり解析し活用してゆくような時代がすでにそこまで来ています。

この考える軸を、近年演算処理が大変速くなったコンピューター自身が軸となり、AIとして実用化されてきています。これはすべての産業に大きな変革をもたらしています。
行政や医療や自動倉庫などの分野だけでなくおよそCPUに影響を受けないであろう分野はないというほどで、これらのように、最も縁遠いと思われる芸術や伝統工芸の分野さえにも及ぼうとしています。
たとえば、米の実験で、AIでつくったというのを伏せて曲を他の40人ほどの学生に聞かせたら皆涙を誘ったが、逆にあらかじめAIが作ったと教えてから聞かせたらミスったとも。

2年ほど前、Oxford大オズボ-ン教授が今の仕事の47%は機械にとって代わるだろうと予測。
私の会社でも、経理人事(受付は既に済み)、ゲームデザイン、グラフィックス、ゲームレベルデザイン等、サービスのインターフェース等デザインの大部分の分野で大々的におきかわりつつあります。
この関わりの中で、三つの選択肢があります・・・①コンピューター(以降、CPU)に使われる人、②CPUと競争する人、③CPUに指示を出せる人。
この③を目指してもらいたい。CPUやAIで何ができるかを考え、仕事に使える人になって下さい。
私のように年寄には無理ですが、若い人はまだ間に合います。
③がイチバン楽しいですしお給料も高いです。
直接、指示を出すことでなくてもいいんです。
CPUをどう使いこなし何ができるのかAIで全体の構想や設計を考えアーキテクチャーをつくりそれを前提にし人間の役割分担をしっかりやると。
苦手な人ほどこの世界に近づいてください。
苦手な人ほど今の内に近づいてください。
30年後にはAIを前提としない産業はないです。
その時に窓際で淋しい思いをしなくて済むようにしてください。
今のうちからテクノロジーを用いて、どう産業を変えて行くのか、医療や行政に大きな変革を起こそうかと企画実行できる人になって職場に身をおいてほしなあというのが私のメッセージです。
イノベーションによるデイスラプション・・・不連続な変化・・・のど真ん中に近づいてください。
自動倉庫で仕事が奪われることを心配するのではなく、テクノロジーを用いて自動倉庫で革新的な会社に行くんだというように。テクノロジーを持って守りではなく変革をもたらすビジネスに近づいてほしいと思います。

仕事はプロジェクト単位へ

もうひとつは、あきらかに仕事の仕方が会社単位でなくなりプロジェクト単位になって行きます。
私と同じような年齢の人にはキツイかも知れませんが、これからは、ひとつの会社組織にどっぷりと属してそこで一生仕事をする人生は将来とてもマイノリテイーになります。
DeNAも私が立ち上げた創業時から18年経ちますが今は全く違う人間が働いています。
すべてのプロジェクトで外部の人が半分くらい入っています。会社とは身を置くのではなく、個人としてこれができます得意ですと公開して、目的に応じてプロジェクトに参加、プロジェクト単位でベストな人材を世界中からソーシングする。達成したら解散し成果を分かち合うことになります。まず、プロジェクトに呼ばれる人材になってゆくことです。
例えば、どんなローカルな問題でも、目的に応じて国境も越えてベストな人材を呼んでくる。
デキル人材になっておくというのは、2つ方法がある。
ひとつは錐のように狭くて深い専門能力を持つ(外科医とか)人、もうひとつは大多数の若い人ですがまだ専門性が固まってない人はゼネラリストとしてデキル人材になっておいてください。
また、プロジェクト単位で仕事ができるには2種類の人がいます。
この人にまかせたらきっとできるのと、この人ならだめだろうなと。
しかし、後者から前者に進化するのはいくらでもできますから大丈夫ですよ。
そしてプロジェクトの目的が固まったら、必要なリソースを見極めて、道筋を考え、戦術を考え、必要なものを持ってきて、助けを借りて目的を達成するということです。

日本の教育のハンデイキャップとは

その時に、日本の教育のハンデイキャップについて痛感していることがあります。
DeNAも世界に子会社があり運用して気付くことでもあります。
新潟も日本ですので同じだと思いますが、日本で生まれ日本で育つというのはどういうハンデイキャップかというと、教育者にも感じてほしいことなのですが、日本の教育の仕組みは、戦後の復興、加工貿易立国になるにはベストな教育だったと思いますが、課題先進国となった今の日本ではすべてが前例のない課題ばかりで、残念ながら全く必要な教育の仕組みになってないなと感じます。
日本でどっぷり教育を受けた人は、間違いなく正解のない問いに弱いです。
これは重症だと思います。
新潟高校はどうかわかりませんが、多分解答用紙があって解答欄があって間違いないように正解を書いてまるをもらってほっとするというのを繰り返させているわけです。
これは重症だなあと。
当社にも毎年、就活で数万の単位の人が入社試験を受け、しかも高学歴の人が多いです。
いちばん多いのは東大、次いで、早慶、京大、東工大等の人達です。
最後に面接で、何か質問は?と聞くと、大体の学生がここではこういう質問をするのが正解だよなとか、こういう質問が受けが良いんじゃないか、無難だよなと、質問自体が正解を探す。
ここでもまた受験によるパブロフの犬か?ということが殆どです。
どんな時でも答えを探す、誰かオーソリテイーの答えを探す、面接の時には面接官がそうなのでしょう。
IQの高い学生ほど質問の事前予想をする傾向にある。
本当に腹の底からこれを聞いておかないと帰れないと聞いてくる人はとても珍しいです。
ですから落とすのはとても簡単です、バサバサバサと落とします。
それくらい本当に正解のない問いに弱いです。
過去の常識の延長線上に事業の発展の可能性などありませんので、いかに上司の奴隷になっているかということです。
こうして数万人が受験に来てもどんどん落とします。
この術策にはまるのは高学歴の人ほど多いようです。

パッションの共有

もうひとつは、パッションの共有が苦手ということです。
情熱の共有がすごく下手なんです。
元の駐日米国大使夫人のスージーさんが言ったことですが、日本の少女がミニチュアのフィギュアとか一杯持っているのを見て、これを学校に持って行ったの?と聞いたら、お母さんが、いいえこれは個人の趣味だからひとつも学校にはもっていって見せることなどないと、決してかみ合わないのです。
私も新潟で小さい頃、ラーメンの調味料を机に収集していたが決して学校で自慢するようなことなどありませんでしたから。
ですから、私はスージーにこれは日本では当たり前なのよと言うと、スージーがこうも言いました。
米国では、いい幼稚園や小学校では大変なのよと、自分にとって最も大切なモノやコトを皆の前で一生懸命プレゼンしアピールをして皆の共感を得ることがいかに大切かそれも毎週毎週行われ、それが将来のリーダーとしての人間力を鍛えるのにとても大切なことだと。
こんな話をシリコンバレーの我社の友人に話したら、トモコよ、こちらではそれは当たり前なんだよ、毎週、家から大切なモノを学校に持ってゆき皆の前で堂々とプレゼンし共感を得ないとダメなんだよと。
何をやってるかと言うと、これが私にとってなぜ大切でいかに情熱をもっているかを訴え皆の共感を得るという訓練をして小さい時から闘わないといけないんです。
これはリーダーとしてなかなか重要な資質なんですね。
皆の気持ちをひとつにしないと、シリコンバレーなんかエンジニアの争奪戦ですから、どんどん変わるとかよそに獲られてしまう。
私が思ったのは、プロジェクトに呼ばれる人材になり、いずれはリーダーとなるには、日本の教育はいかにも弱いです。

異なる人々とのコラボレーション


南場 智子 (株式会社ディー・エヌ・エー代表取締役会長・創業者/89回卒)
そして、これが最後ですが、日本人は様子の異なる人とコラボレーションすることが非常に苦手です。
同じような日本人が集まってあてがって仕事をすると心地良いのですが、様子が違う人がくるとウーンとなる。
ハーヴァードに行って感じたのは、ハーデイッシュ的多国籍人というのですが、あれはアメリカのエリートの育て方なのだと思いますが、あえてまぜこぜにして徹底的に鍛える。
うちの近くに東大がありますが、先端研究所にアジア人研究者も多いですが、アジア人とだけで、ほかの人と交わって食事に行くのを見たことがないですね。あえて意識的に混ぜまぜにするアメリカのエリ-ト教育と東大の在り方は大きく違います。
どんなローカルな問題でも、世界中からベストオブザブライテスト、この課題にベストな人を集めて仕事をなすという時代に、様子の違う人が入ってくるとまず萎縮するというのが課題ではないかと思います。
では、すでに会社に入ってしまっている場合、今は転職も可能な時代ですし、今安定している会社よりも、デキル人材に成長させてくれる会社、大きな目標を与えて千本ノックを受けさせてくれる会社を選んでほしいと思います。
若い方は恐れずに向かってチャレンジしてほしいですね。
30年後も彩り豊かなキャリアを選択できるよう願っています。

以上。ありがとうございました。